日本歴史地名大系 「開田庄」の解説
開田庄
かいたのしよう
中世までは
元暦二年(一一八五)七月日付の相模国前取社并安芸国開田庄注文(東京国立博物館所蔵高山寺文書)によれば、「安芸国開田庄事 以庄解、先日令付進伯耆前司畢、子細見其状、平氏云源氏云乱入令損亡土民、不知其度数之間、庄民悉以逃散、所残一両人許也、仍不及耕作田畠、況入杣哉、漸々招居庄民、追可勤例進役也」とみえ、源平合戦に際して、源平双方の軍勢が度々荘内に乱入し、荘民が逃散している。
開田庄
かいでのしよう
現上開田・下開田付近に比定される比叡山
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報