女子英学塾(読み)じょしえいがくじゅく

山川 日本史小辞典 改訂新版 「女子英学塾」の解説

女子英学塾
じょしえいがくじゅく

1900年(明治33)津田梅子が東京市麹町区の住宅に生徒10人で開校。英語教授と英語教員養成を目的とし,少人数男子と同じ教育を施した。04年専門学校令で認可され,05年には英語科教員無試験検定が認可される。31年(昭和6)東京府下小平町に移転。33年津田英学塾と改称。43年理科を増設し津田塾専門学校,48年津田塾大学となる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「女子英学塾」の解説

女子英学塾
じょしえいがくじゅく

津田塾大学の前身。1900年津田梅子が創立

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世界大百科事典(旧版)内の女子英学塾の言及

【女性運動】より

…だがやがて良妻賢母主義が主張され,家庭の守り手としての女子教育が重視されるようになり,それへの批判として,巌本善治は自由主義的教育をめざす明治女学校を設立した。また津田梅子は女子英学塾(現,津田塾大学)を,吉岡弥生は東京女医学校(現,東京女子医科大学)を創設した。女性は高等教育を受けることができるようになったが,男性と同等の大学に入学が認められるようになるのは,第2次大戦後であった。…

【津田梅子】より

…津田塾大学の前身,女子英学塾の創設者で,明治初期の西洋農学者津田仙の次女。江戸牛込に生まれ,1871年(明治4)8歳のとき,開拓使海外留学生として4人の少女とともにアメリカに留学,ワシントン郊外のアメリカ人家庭に居住し初等・中等の学校教育をおえた。…

※「女子英学塾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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