女川浜(読み)おながわはま

日本歴史地名大系 「女川浜」の解説

女川浜
おながわはま

[現在地名]女川町女川浜・清水町(しみずちよう)

女川湾の最奥に位置し、北は屋敷ノ入口という所で宮(みや)ヶ崎(さき)と接し、南は鷲神浜(わしのかみはま)に続き釜屋敷がその境界、西隣は真野(まの)村(現石巻市)で、袖(そで)山までが女川浜であった。村名は黒森(くろもり)山の麓にあたる奥地に安野平(あのだいら)という場所があり、往古安倍貞任が源氏と戦った時、一族の婦女子を避難させた所で、ここから流れ出る川を女川とよぶようになったという(女川町誌)。慶長一六年(一六一一)のセバスチャン・ビスカイノの「金銀島探検報告」にある「ウラガワ」が女川と考えられている。慶長年間に丹野大隅が大肝入を命じられてから、文政四年(一八二一)横浦(よこうら)木村五郎右衛門が大肝入となるまでの約二〇〇年にわたり大肝入の居住する村で、女川組の中心であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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