日本歴史地名大系 「奴原城跡」の解説 奴原城跡ぬばらじようあと 広島県:双三郡三和町敷名村奴原城跡[現在地名]三和町敷名両岸にかなりの耕地を造成して北流する美波羅(みはら)川が、一度山峡に入り三次(みよし)市有原(ありはら)へと続く谷の入口に位置する戦国期の山城跡。本丸以下いくつかの郭や土塁・堀切の遺構が残る。「芸藩通志」に「敷名村にあり、敷名兵部元綱毛利弘元の子元就の弟所拠、また椋梨左衛門包久ともいへり、いまだ詳ならず」とある。奴原城跡北方一キロの旧有原村との村境には、その出城とみられる大笹(おおささ)城跡があり、三次市三若の旗返(みわかのはたがえし)城に拠った江田氏に備えていた。明応六年(一四九七)敷名郷を支配下に入れた毛利弘元は、その子元綱にこの地を与え、元綱は奴原城に拠り在地名をとって敷名氏を名乗る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by