妙祖村(読み)みようそむら

日本歴史地名大系 「妙祖村」の解説

妙祖村
みようそむら

[現在地名]湯布院町中川なかがわ 中依なかより

たいら村・山崎やまさき村の南西、大分川左岸に位置する。南西は中依村に接し、対岸光永みつなが村。小倉藩慶長人畜改帳に一村として載り、家数七・人数一六(うち本百姓二・名子二)、牛三・馬三、元和八年(一六二二)の高は五五石余、家数三・人数一九(うち本百姓・小百姓二、名子四)、牛二・馬二(小倉藩元和人畜改帳)正保郷帳では田方二五石余・畑方二〇石余。延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳(内藤家文書)では高五五石余。文政一一年(一八二八)の御領分宗門人別勘定帳(同文書)によると人数一九。弘化三年(一八四六)取替証文(種木家文書)によると、当村および平村・中依村・水地みずち村四ヵ村の間で秣場争論があり、経緯と決着の内容は次のようであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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