日本歴史地名大系 「姉茶村」の解説 姉茶村あねちやむら 北海道:日高支庁浦河町姉茶村[現在地名]浦河郡浦河町字姉茶・字富里(とみさと)・字瑞穂(みずほ)明治一五年(一八八二)から同三五年までの村。明治一五年二月、姉茶村の一部(南部)と透消(とおるけし)村が合併して成立。元浦(もとうら)川の中流域を占め、西は三石(みついし)郡鳧舞(けりまい)村(現三石町)、南西は荻伏(おぎふし)村、南は後辺戸(しりべと)村、東は丘陵を隔てて井寒台(いかんたい)村、北は元浦川支流の姉茶川などを境に野深(のぶか)村に接する(「状況報文」など)。同一五年五月、赤心社募集の農民一〇戸が入植(状況報文)。 姉茶村あねちやむら 北海道:日高支庁浦河町姉茶村[現在地名]浦河郡浦河町字姉茶・字野深(のぶか)・字瑞穂(みずほ)・字富里(とみさと)明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治一五年(一八八二)までの村。浦河郡の西部に位置し、元浦(もとうら)川の中・下流域を占める。南西から南は荻伏(おぎふし)村・透消(とおるけし)村に、西は三石(みついし)郡鳧舞(けりまい)村(現三石町)に、東は丘陵を隔てて浦河村のうち井寒台(いかんたい)に接する(「浦河町管内図」浦河町史、「状況報文」など)。近世の史料(「戊午日誌」宇羅加和誌など)にア子サラ(アネサラ)、「ア子チヤリ」「アネシヤリ」などと記録された地を含み、「東蝦夷地場所大概書」によると、「アネシヤリ」の家数四。玉虫「入北記」(安政四年九月二日条)には「ア子チヤリ村」とあり、家数二、人別一二(男六・女六)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by