浦河町(読み)ウラカワマチ

デジタル大辞泉 「浦河町」の意味・読み・例文・類語

うらかわ‐まち〔うらかは‐〕【浦河町】

浦河

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日本歴史地名大系 「浦河町」の解説

浦河町
うらかわちよう

面積:六九四・二三平方キロ

昭和三一年(一九五六)九月、それまでの浦河町が荻伏おぎふし村を合併して成立。日高支庁管内の南東部に位置し、南東は様似さまに町、北西から北は三石みついし町・静内しずない町、北東は十勝支庁の広尾ひろお郡広尾町・大樹たいき町に接し、南は太平洋に面する。十勝支庁との境界には日高山脈の主脈に位置する神威かむい(一六〇〇・五メートル)・ソエマツ岳(一六二五メートル)ピリカヌプリ(一六三一・二メートル)などの高山が連なる。これら山岳地を源に西部を元浦もとうら川、中央部を向別むこうべつ川、東部を日高幌別ひだかほろべつ川がそれぞれ北から南に貫流し、太平洋に注ぐ、海岸に沿って国道二三五号・国道三三六号、やや内陸側をJR日高本線が東西に走り、日高幌別川に沿って北上する国道二三六号が十勝に通ずる。海岸部と河川流域は平坦地で農耕が行われ、これに続く台地は牧場に適していて軽種馬の生産が盛んである。

近世はウラカワ場所に所属した。明治二年(一八六九)八月の国郡画定により浦河郡となり、同六年までに浦河村など二〇ヵ村が成立(「日高国地誌提要」など)。この二〇ヵ村は同一三年浦河村に置かれた浦河郡各村戸長役場の管下となる。同一五年同戸長役場管内の二〇ヵ村は合併により一一ヵ村になる。


浦河町
うらかわちよう

大正四年(一九一五)から昭和三一年(一九五六)までの町。大正四年四月それまで組合役場であった浦河町・杵臼きねうす村・西舎にしちや村の一町二村が合併して一級町村制を施行して成立。旧来の各町村大字を継承して浦河村・向別むこうべつ村・後鞆しりへと村・井寒台いかんたい村・西舎村・杵臼村東幌別ひがしほろべつ村・西幌別村の八大字を編成。大正九年の戸口は一千三六五戸・六千九四一人(浦河町史)。昭和元年浦河測候所が開設され、同四年には浦河漁港の改修工事が完了している。同一〇年国鉄日高線(現JR日高本線)が浦河まで延長され、浦河駅が置かれた。


浦河町
うらかわちよう

明治三五年(一九〇二)から大正四年(一九一五)までの町。明治三五年四月、浦河村・後鞆しりへと村・向別むこうべつ村・井寒台いかんたい村が合併して二級町村制を実施、同時に浦河町と改称して成立。旧村名を継承した四大字に編成された。併せて浦河町・荻伏おぎふし村・西舎にしちや村・杵臼きねうす村組合役場(通称、浦河町外三ヶ村組合役場)を設置し、役場を当地に置いている(「北海道庁令第四一号」北海道庁公文録)。同年六月の組合役場の部制度実施で、第一部大字浦河村市街一円、第二部大字浦河村字月寒チノミ、第三部大字向別村タンネベツ以西川西向共一円、第四部同タンネベツ以東川西向共一円、第五部大字井寒台村、第六部大字井寒台村字絵笛えぶえ、第七部大字後鞆村の七部となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浦河町」の意味・わかりやすい解説

浦河〔町〕
うらかわ

北海道南部,太平洋に面する町。日高振興局の所在地。北部から東部にかけて日高山脈が走り,西部から南部にかけて平野が広がる。1902年町制。1915年杵臼村,西舎村(にしちゃむら)と合体。1956年荻伏村(おぎふしむら)を編入。地名の由来には,アイヌ語のウラリット(山から濃霧が海に下れば晴天になるところの意)説とウララペツ(霧の深い川の意)説とがある。1807年松前藩の会所が設けられ,1871年から農業移住者が入植。その後,赤心社(北海道開拓を目的に 1880年に組織されたキリスト教徒の開拓団)が入植して開拓が進んだ。河岸段丘,海岸段丘上はウマの放牧地で競走馬を飼育。幌別川中流の西舎には競走馬を生産・育成する日本中央競馬会 JRAの日高育成牧場がある。酪農,米作などの農畜産業やコンブ,サケ,イカ漁などの沿岸・沖合漁業が行なわれ,浦河港付近は水産加工業が発達。海岸部を国道235号線が通る。面積 694.26km2。人口 1万2074(2020)。

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