姫社郷(読み)ひめこそごう

日本歴史地名大系 「姫社郷」の解説

姫社郷
ひめこそごう

郷域は現鳥栖とす市の姫方ひめかた町・幡崎はたざき町・はる町地域に比定される。旧村社の姫古曾ひめこそ神社鎮座の姫方町を遺称地とする。

肥前風土記」は基肄郡六郷のうち姫社郷のみの名を挙げ、「和名抄」高山寺本に「社」、刊本に「姫社」とみえる。郷名のよみは、「和名抄」に欠く。諸文献に「ヒメコソ」と読むが、「日本地理志料」「太宰管内志」は「ヒメノヤシロ」とよむ。

名義は「肥前風土記」に、

<資料は省略されています>

とある。郷内の山道やまじ川の西に交通妨害をする神がいて、行路の人の半数危害を受けていた。そこで宗像郡人の珂是古かぜこをして占わせ、幡をあげたところ、御原みはら郡の姫社の社(現福岡県小郡市大崎の媛社神社)に落ち、またこの山道川のほとりに飛び帰って落ちたので、神の本居と基肄郡に来て交通妨害をするためにいる地がわかり、その夜の夢でわかった女神をここに社を建てて祀ったところ、以後は行路人が危害を受けることがなくなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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