日本歴史地名大系 「基肄郡」の解説
基肄郡
きぐん
- 佐賀県:肥前国
- 基肄郡
肥前国東限の小郡で、「きい」ともよむ。現
「肥前風土記」に、
とある。昔、景行天皇が巡狩し、
郡名は、「和名抄」「延喜式」民部・神名や「三代実録」貞観八年(八六六)七月一五日条および延喜五年(九〇五)一〇月一日の筑前国観世音寺資財帳にもみえる。
用字の「肄」と「肆」、よみの「キ」と「キイ」とには古来から混乱がみられる。肆を用いるものは「延喜式」民部(九条本)・「肥前風土記」(猪熊本・南葵文庫本)・「三代実録」・筑前国観世音寺資財帳などで、肄を用いるものは「和名抄」「延喜式」神名(武田本)・「肥前風土記」(伴本・板本・平田本)・「太宰管内志」などである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報