日本歴史地名大系 「姫谷焼窯跡」の解説
姫谷焼窯跡
ひめだにやきかまあと
[現在地名]福山市加茂町百谷 姫谷
江戸初期に開窯・操業していた窯跡。地名をとって姫谷焼とよばれる。数次にわたる発掘調査で窯跡の全貌が明らかとなり、出土した陶磁破片により焼成作品も判明した。県指定史跡。
窯は上下二重に築かれた連房式階段状の登窯で、最初山の傾斜面に沿って五房よりなる半地下式の一号窯がつくられたが、傾斜が緩く熱度をあげることができず、器や陶器が焼かれた。次いで一号窯の地下部分を天井や側壁の構造材で埋めて、地上式の登窯を築き磁器の焼成に成功している。この二号窯は六房の焼成室を備えるが、一時は七房となった時もあり、最上部の通煙構造からみても少なくとも四回は増改築され、最終的には通煙孔を二重にした横狭間式構造となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報