朝日日本歴史人物事典 「娟子内親王」の解説
娟子内親王
生年:長元5.9.13(1032.10.19)
平安時代後期の賀茂斎院。後朱雀天皇と陽明門院禎子内親王の子。「よしこ」とも。長元9(1036)年賀茂斎院に卜定される。寛徳2(1045)年父の譲位により退出。天喜5(1057)年突然姿を消して人々を慌てさせたが,参議源俊房と共に暮らしていたところを発見された。恋におちた俊房が娟子を連れ去ったらしく,このためか狂斎院とも呼ばれる。このスキャンダルに弟後三条天皇は立腹し,在位中は俊房の出仕を止めた。そのため俊房は弟顕房に官位を越されたが,延久4(1072)年白河天皇即位により政界に復帰した。
(京楽真帆子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報