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陽明門院 ようめいもんいん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

陽明門院 ようめいもんいん

1013-1094 平安時代中期,後朱雀(ごすざく)天皇の皇后。
長和2年7月6日生まれ。三条天皇の第3皇女。母は藤原妍子(けんし)。万寿4年皇太子敦良(あつなが)親王(後朱雀天皇)と結婚し,長元10年皇后となった。尊仁(たかひと)親王(後三条天皇),良子・娟子(けんし)の両内親王を生む。延久元年院号宣下。寛治(かんじ)8年1月16日死去。82歳。名は禎子。

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世界大百科事典 第2版の解説

ようめいもんいん【陽明門院】

1013‐94(長和2‐嘉保1)
後朱雀天皇の皇后。禎子内親王。父は三条天皇,母は藤原道長の女中宮妍子。生後4ヵ月で内親王宣下を被り,ついで1015年(長和4)12月准三宮,23年(治安3)無品より一品を直叙され,27年(万寿4)皇太子敦良親王(後朱雀天皇)の宮に入御し,37年(長暦1)1月皇太子が践祚するや,2月中宮に,3月皇后に冊立された。しかし45年(寛徳2)天皇が没すると,同年7月落飾し,妙法覚と号した。51年(永承6)2月皇太后に,68年(治暦4)4月太皇太后に転上し,翌年2月陽明門院の院号を宣下された。

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367日誕生日大事典の解説

陽明門院 (ようめいもんいん)

生年月日:1013年7月6日
平安時代中期;後期の女性。後朱雀天皇の皇后
1094年没

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世界大百科事典内の陽明門院の言及

【女院】より

…以後,1850年(嘉永3)2月,孝明天皇の生母藤原雅子が新待賢門院の院号を宣下されるまで,詮子も含めて女院号を授けられた者は107名(このうち2度院号宣下を被った者があり,院号例は108)である。 院号宣下は,初例の東三条院の場合は出家による后位の停廃に基づき,第2例の太皇太后藤原彰子も1026年(万寿3)1月出家により上東門院の号を授けられたが,第3例の禎子内親王が陽明門院の女院号宣下を被ったのは1069年(延久1)2月で,すでに出家から二十数年を経ており,以後,出家と女院号宣下は必ずしも関係はなくなった。ただ以上の3例はいずれも天皇の生母で,后位にあるのを共通とする。…

※「陽明門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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