子眉嶺神社(読み)こびみねじんじや

日本歴史地名大系 「子眉嶺神社」の解説

子眉嶺神社
こびみねじんじや

[現在地名]新地町駒ヶ嶺 大作

東流する立田たつた川の北岸、相善そうぜん集落と菅谷すがや集落の中間やや北側に鎮座する。旧郷社で、祭神は豊受毘売神。奥の相善宮・総前そうぜん社・勝善しようぜん宮とも俗称される。「こまがみね」とよぶ説もある。「延喜式」神名帳にみえる宇多うだ郡一座の名神大社「子負嶺神社」に比定されるが、同書の武田家本は「コヒミネ」「コオヒ」、九条家本は「コオヰ」と訓ずる。大宝二年(七〇二)創建と伝え、中世に伊達氏が氏神として崇敬、社領を寄進して社殿を造営したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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