日本歴史地名大系 「学行院」の解説 学行院がくぎよういん 鳥取県:岩美郡国府町松尾村学行院[現在地名]国府町松尾松尾(まつお)集落の東方に位置する。花慶山と号し、真言宗醍醐派。本尊は薬師如来。もとは吉野(よしの)村領内にあって光良(こうりよう)寺と称し、土堂(つちどう)薬師とも称された(因幡志)。寺伝によれば光良寺は和銅年間(七〇八―七一五)頃に薬師如来を本尊として創建されたという。しだいに衰退し、天正年間(一五七三―九二)山中幸盛の家来の者に荒され、仏像の背まで割られたと伝え、のちに紹慶と修験覚行によって小堂が復興され、慶長一〇年(一六〇五)には池田長吉が四間×六間の堂を建立し仏像を安置したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by