孫策(読み)そんさく

日本大百科全書(ニッポニカ)「孫策」の解説

孫策
そんさく
(175―200)

中国、後(ごかん)時代末期の武将。孫堅(そんけん)の長子で、父の死後、袁術(えんじゅつ)の配下にあったが、揚州刺史劉繇(ししりゅうよう)を討って江南に進出し、一族を各地に派遣して勢力を伸ばし、やがて袁術から独立して江南に割拠した。彼は容姿優れ、闊達(かったつ)な性格で、巧みに人を用い、人心を得たといわれる。200年、曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)が官渡で対決したとき、その間隙(かんげき)を縫って曹操の本拠地許を襲い、漢の皇帝を迎えようとしたが、出発直前に刺客に殺された。その事業は弟孫権に引き継がれ、(ご)建国の基礎となった。

[中村圭爾]

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世界大百科事典内の孫策の言及

【呉】より

…222‐280年。呉郡富春(浙江省富陽県)出身の孫堅が後漢末の群雄の一人として活躍したのち,子の孫策が長江下流域を制したが若死する。その地盤をついだ弟の孫権は劉備と同盟して208年(建安13),南下する曹操の軍を赤壁に破り,さらに219年,劉備に勝って長江中流域以南を領有した。…

【孫権】より

…在位222‐252年。父の孫堅の死後,兄の孫策(175‐200)は数百人の部下と,もとから父に従っていた1000人あまりの兵を率いて195年(興平2)から長江(揚子江)下流デルタに進出し,土着豪族たちの協力を得て江南に割拠する基礎を固めた。孫策が刺客に殺されたあと,孫権は名臣の周瑜(しゆうゆ)らに助けられ,また豊かな政治的能力によって江南豪族たちの信望を得つつ,ますますその地盤を固め,208年(建安13)には赤壁の戦に勝って曹操の南下をくいとめ,219年には荆州を占領して長江中流域以南を領有した。…

※「孫策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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