日本歴史地名大系 「宅原庄」の解説 宅原庄えいばらのしよう 兵庫県:神戸市北区宅原庄長尾(ながお)川流域に成立した庄園。摂津国有馬(ありま)郡のうち。建武四年(一三三七)から暦応三年(一三四〇)にかけて、西摂に立籠る南朝軍と、赤松円心・仁木義有を大将とする北朝軍が戦っていた。暦応二年六月日の貴志義氏軍忠状案(余田文書)に、貴志氏は香下(かした)寺(現三田市)などから押寄せた南朝方の軍勢を迎え撃ち、さらに「宅原根部谷東岡」に陣取った南朝軍を追散らしたとある。応安四年(一三七一)湯山(ゆのやま)に湯治に来ていた京都祇園社前執行顕詮は広峯(ひろみね)山(現姫路市)に詣でる路次、山口(やまぐち)庄・畑(はた)庄を経て赤松氏所領の家原(えいばら)を通過、当庄内には大道の左手に牛頭天王社があったという(「祇園執行日記」同年一〇月七日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by