宇利庄(読み)うりのしよう

日本歴史地名大系 「宇利庄」の解説

宇利庄
うりのしよう

市域南部一帯とその付近。荘名の初見は、竹輪たけのわ(現南設楽郡鳳来町)日吉ひよし神社の暦仁元年(一二三八)の棟札に「八名郡宇利之庄内竹谷 大檀那伊福部弘時同子息真弘」とあるものであって、鎌倉時代前期に立荘されていたことが知られる。次いで吉川よしかわ日吉神社に残る応永六年(一三九九)の棟木銘に

<資料は省略されています>

とあって慈恩院すなわち足利直冬の所領であり、すでに本庄のほかに新庄が存在し、その代官名が知られる。

次いで小畑の延命おばたのえんめい寺の応永一三年の写経奥書に「時応永十三年丙戌十二月四日於三河国八名郡宇利新庄内宇利郷小波田村延命禅寺草亭如形令書写畢、右筆者信厚春秋五六」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報