日本歴史地名大系 「宇土手村」の解説 宇土手村うとでむら 佐賀県:武雄市宇土手村[現在地名]武雄市東川登町(ひがしかわのぼりまち)袴野(はかまの)字宇土手現東川登町の西端に位置する。永仁七年(一二九九)の長嶋庄高瀬山田畠山野下地中分状(橘中村家文書)に「南限、仁和木、宇土手堺」とある。奈良時代は島見(しまみ)郷であったと思われ、平安時代後期に長島(ながしま)庄に加えられて蓮華王(れんげおう)院領。鎌倉時代には長島庄惣地頭橘薩摩氏の領有となった。室町時代に塚崎(つかざき)庄が成立して、長島庄を分轄し、塚崎庄に属して塚崎後藤氏の領地となった。豊臣秀吉が塚崎後藤氏に与えた朱印状の領知方目録(武雄鍋島家文書)の「九千参百六拾四石八斗、きしま郡塚崎庄」の内に含まれている。江戸時代は佐賀藩武雄領。足軽二組五〇名が常住し、平時には農耕のかたわら、領の西目の見張りを行い、一朝有事の時は出動した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報