日本歴史地名大系 「宇杭野古戦場」の解説 宇杭野古戦場うぐいのこせんじよう 青森県:黒石市宇喰野村宇杭野古戦場浅瀬石(あせいし)川流域の柵ノ木(さくのき)・牡丹平(ぼたんだいら)・石名坂(いしなざか)・浅瀬石の辺りと考えられる。天正一三年(一五八五)四月大浦為信に味方した浅瀬石城の千徳(せんとく)氏討伐を目的とした南部氏の軍勢が陣を布き、浅瀬石勢と戦った所である。「津軽一統志」に「南部勢浅瀬石城責」として「天正十三乙酉四月四日下長杭日向守を大将として、其勢三千余糠檀(コウダ)の嶽とヒルカイ山の中間烏長根と云大切所を打越黄檗(キワタ)ヵ平へ掛り黒森山の麓黒石の東欝虫野(ウツクイノ)に陣を取る」とある。南部勢は中川原・阿弥陀屋敷・土手口(辻堂口)の三方から浅瀬石城を攻めたが、準備を整えて待っていた城兵三〇〇人、商農兵一千人の浅瀬石勢に敗退し、宇杭野に退き、さらに竹鼻(たけはな)を通って浪岡(なみおか)(現南津軽郡浪岡町)方面へ退却しようとし、高館(たかだて)で浅瀬石方の郷民に道をふさがれ、馬場尻(ばばしり)付近の十川萢(とがわやち)で多くの人馬を溺死させつつ浪岡方面へ脱出した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by