浅瀬石城(読み)あせいしじょう

日本の城がわかる事典 「浅瀬石城」の解説

あせいしじょう【浅瀬石城】

青森県黒石市にあった戦国時代の平山城(ひらやまじろ)。一戸南部氏の系統を引く千徳(せんとく)氏の居城。浅瀬石城は本丸・二の丸・侍屋敷・町屋敷・代官館・御堂館の6つの郭で構成された城郭だが、現在、かつての城の領域のほとんどがりんご園になっている。戦国時代から安土桃山時代にかけて、南部氏と大浦氏(津軽氏)の勢力争いが激化したが、この城も、その攻防の舞台となった城の一つである。1189年(文治5)の源頼朝の奥州征伐功績をあげ、陸奥国糖部郡を与えられた南部光行の長男彦太郎行朝は一戸氏を興したが、行朝の子の行重の代に築かれた城である。その後、浅瀬石城は一戸氏(南部氏)の一族の千徳氏の居城となった。1561年(永禄4)、千徳氏第10代当主の政氏は大浦(津軽)為信と盟約(永禄の約)を結び、滝本播磨守重行が居城とする大光寺城をはじめ、南部方の津軽の諸城を攻め、南部氏と対立した。南部信直は浅瀬石城の千徳氏の反意が明らかになると、これを攻め、攻防が繰り広げられたが、千徳氏はこれをよく守った。しかし、1597年(慶長2)、千徳氏は大浦為信と対立して大浦勢の攻撃を受け、この攻撃を支えきれずに、当主の千徳政康は自害して浅瀬石城は落城した。弘南線(弘南鉄道)黒石駅からバス(高賀野経由尾上線)で高賀野下車後、徒歩約10分。東北自動車道黒石ICから車で1分。◇「汗石城」とも記される。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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