宇江城村
ういーぐしくむら
[現在地名]久米島町宇江城
仲里間切北部に位置し、西と南は具志川間切仲村渠村、東は比屋定村。ウィーグシクという。南部に久米島最高峰の宇江城岳(三〇九・五メートル)があり、同岳を源とする白瀬川が南流し、兼城湾に注ぐ。古くは宇江城岳頂上の中城(仲里城・宇江城)を中心に城・堂・仲里などの小集落が点在していたが、慶長検地以後、城・堂・仲里の三村が合併して宇江城村となったという(久米仲里旧記・仲里村誌)。「おもろさうし」巻二一の八六に「一 たうのしかつかい(堂の子が招待)/きこゑあちおそいや(有名な按司襲いは)/もゝと世すちよわれ(百年世こそましませ)/又 たうの大やかつかい(堂の大屋の招待)/きこゑあちおそいや(有名な按司襲いは)/又 たうかわに よとしよわ(堂井に淀したまえ)/きこゑあちおそいや(按司襲いは)/又 わくさうす よとしよわ(湧く清水に淀したまえ)/きこゑあちおそいや(有名な按司襲いは)」とあり、堂と堂井を謡っている。堂井は今も水をたたえている。絵図郷村帳には、だうの村・中城村がみえる。
宇江城村
うえぐすくむら
[現在地名]糸満市宇江城
西は真壁村、東は具志頭間切仲座村(現具志頭村)。絵図郷村帳に島尻真加比間切「あがるい村」、琉球国高究帳に同「あかるい村」とあり、「琉球国由来記」には真壁間切東江村とみえる。間切集成図には「阿嘉礼村」とみえ、事々抜書には安嘉礼とある。のちに宇江城村に改称。今でも地元ではアガリーとよぶ。琉球国高究帳によると頭高二一六石余、うち田七二石余・畠一四四石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 