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宇津井健 うついけん

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知恵蔵2015の解説

宇津井健

日本の俳優。1931年10月24日、東京都生まれ。本名同じ。
祖母の影響で、小学生の頃から日本舞踊を習う。50年、早稲田大学第一文学部芸術科に入学。在学中の52年、仲代達矢、佐藤慶らと俳優座養成所に4期生として入団。黒澤明監督の「七人の侍」に、エキストラで出演した後、53年、新東宝の映画「思春の泉」(中川信夫監督)で主演に抜擢されデビューする。54年、新東宝に入社。その後大学は中退する。57年からは国内初の特撮ヒーロー映画、「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」(石井輝男監督)シリーズで主演を務め、地球を守る宇宙人役を演じて子どもたちの人気を得る。その他、多彩な役を演じて若手新進スターとなった。
61年、新東宝が倒産すると大映に移籍。同年、千恵子夫人(後に友里恵に改名)と結婚。
60年代半ば以降は、活動の中心をテレビに置き、65年からは、大映テレビ室制作のTBS系「ザ・ガードマン」シリーズに主演。同番組は、65年と66年に2年連続視聴率1位、最高40.5%を記録する大ヒットとなり、人気を確立した。71年、大映倒産直前に独立した大映テレビに移籍。
74年、山口百恵が主演を務めるTBS「赤い迷路」に父親役で出演して大ヒット。75年「赤い疑惑」、76年「赤い運命」、77年「赤い激流」など、80年まで一連の「赤い」シリーズに出演し、「芸能界の紳士」「理想の父親」と称された。76年の「赤い衝撃」で主人公の恋人役を演じた三浦友和が山口百恵と80年に結婚した際には、仲人を務めた。
81~83年TBS「野々村病院物語」、88~95年テレビ朝日系「さすらい刑事旅情編」シリーズなどの作品で主演。一方、NHK大河ドラマの常連として、「武田信玄」「信長KING OF ZIPANGU」などで渋みのある脇役を好演した。
06年からは、TBS系「渡る世間は鬼ばかり」に出演。病気降板した藤岡琢也に代わって小料理店の主人・岡倉大吉役を演じた。
06年4月に友里恵夫人を肝臓がんで亡くす(享年74)。
13年頃から肺気腫を患い、入退院を繰り返す状況で、14年に入ってからは治療に専念していた。3月14日、慢性呼吸不全のため死去。享年82。昭和の映画全盛期、テレビ黎明期から今日まで、甘いマスクと鍛えた体で、正義感や誠実さあふれる役を演じ、第一線で活躍し続けた俳優人生だった。死去当日、名古屋市中区で飲食店を経営する加瀬文恵夫人との婚姻届を提出しており、17日の告別式では宇津井の希望通り、文恵夫人が喪主を務め、親族代表としてあいさつした。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2014年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇津井健 うつい-けん

1931-2014 昭和後期-平成時代の俳優。
昭和6年10月24日生まれ。俳優座養成所をへて,昭和28年新東宝映画「思春の泉」の主役でデビュー。翌年新東宝に入社し,メロドラマアクション映画に出演。40年テレビ「ザ・ガードマン」の主役で大成功をおさめ,山口百恵と共演の「赤い……」シリーズなど,テレビドラマで活躍。平成26年3月14日死去。82歳。東京出身。早大中退。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

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