宇都宮太郎(読み)ウツノミヤ タロウ

20世紀日本人名事典 「宇都宮太郎」の解説

宇都宮 太郎
ウツノミヤ タロウ

明治・大正期の陸軍大将



生年
文久1年3月18日(1861年)

没年
大正11(1922)年2月15日

出生地
肥前国佐賀(佐賀県)

旧姓(旧名)
亀川

学歴〔年〕
陸士(旧7期)〔明治18年〕卒,陸大〔明治23年〕卒

経歴
鍋島藩士亀川貞一の四男で、のち宇都宮家を継ぐ。明治23年参謀本部に入り、イギリス公使館付武官、参謀本部第1・第2各部長を経て、大正3年第7師団長、5年第4師団長、7年朝鮮軍司令官を歴任。8年陸軍大将となり、軍事参議官に補せられた。桂太郎仙波太郎の両大将とともに“陸軍の三太郎”と呼ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「宇都宮太郎」の解説

宇都宮太郎

没年:大正11.2.15(1922)
生年:文久1.3.18(1861.4.27)
明治大正期の陸軍軍人。佐賀藩出身。宇都宮十兵衛の次男。子の徳馬は政治家。明治18(1885)年陸軍士官学校卒,23年陸軍大学校卒。34~39年イギリス大使館付武官となり,35年日英両国軍共同作戦計画の策定会議に列し,日露戦争(1904~05)中は,欧米の対日世論対策として旅順要塞内非戦闘員の避難勧告を献策し,また滞英中の明石元二郎大佐を補佐するなど裏方として貢献した。のち参謀本部第1,第2各部長,第7,第4各師団長,朝鮮軍司令官などを経て,大正8(1919)年大将に進み,翌年軍事参議官。陸軍内の反長州閥であり,薩摩閥の上原勇作陸軍大臣擁立運動や2個師団増設問題などで活動。<参考文献>上原勇作関係文書研究会編『上原勇作関係文書』,宇都宮徳馬「おやじ・宇都宮太郎」(『朝日ジャーナル』1964.6.14号)

(岸本昌也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇都宮太郎」の解説

宇都宮太郎 うつのみや-たろう

1861-1922 明治-大正時代の軍人。
文久元年3月18日生まれ。宇都宮徳馬の父。明治34年駐イギリス公使館付武官。のち参謀本部第二部長,第四師団長などをへて,大正7年朝鮮軍司令官。翌年陸軍大将。桂太郎,仙波太郎とともに陸軍の三太郎とよばれた。大正11年2月15日死去。62歳。肥前佐賀出身。陸軍大学校卒。旧姓は亀川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「宇都宮太郎」の解説

宇都宮 太郎 (うつのみや たろう)

生年月日:1861年3月18日
明治時代;大正時代の陸軍軍人。大将;軍事参議官
1922年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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