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桂太郎 かつら たろう

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美術人名辞典の解説

桂太郎

政治家・陸軍大将。山口県生。名は清澄、号は海城、幼字を寿熊・左中と称し、のち太郎と改める。総理大臣を三回務め、外交上も大いに手腕を発揮した。大正2年(1913)歿、67才。

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デジタル大辞泉の解説

かつら‐たろう〔‐タラウ〕【桂太郎】

[1847~1913]軍人・政治家。陸軍大将。長州藩出身。陸軍にドイツ式兵制を取り入れ、陸相を歴任。三度首相となり、日英同盟日露戦争韓国併合を断行。大逆事件を初め、社会運動を弾圧した。

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百科事典マイペディアの解説

桂太郎【かつらたろう】

明治の軍人,政治家,陸軍大将,公爵。長州藩士の出。戊辰戦争では奥羽を転戦。維新後は再度ドイツに渡り,軍政を調査。帰国後は陸軍で長州軍閥の大御所山県有朋の直系として昇進を重ね,陸軍の兵制をドイツ式に改革,師団の設立,参謀本部軍令部の分離などを行う。
→関連項目桂=タフト協定桂=ハリマン協定川上操六元老護憲運動西園寺公望内閣大正政変拓殖大学日露協商論民友社メッケル

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桂太郎 かつら-たろう

1848*-1913 明治-大正時代の軍人,政治家。
弘化(こうか)4年11月28日生まれ。参謀本部にはいり,山県有朋を補佐して陸軍の軍制改革に着手。日清(にっしん)戦争に出征。第3次伊藤内閣などの陸相として軍拡政策を推進した。明治34年第1次桂内閣を組織,以後西園寺公望と交互に政権を担当。大正2年第3次桂内閣は護憲運動により2ヵ月で総辞職。陸軍大将。大正2年10月10日死去。67歳。長門(ながと)(山口県)出身。号は海城。
【格言など】天が私を試しているのだ(長男の訃報に接して)

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朝日日本歴史人物事典の解説

桂太郎

没年:大正2.10.10(1913)
生年:弘化4.11.28(1848.1.4)
明治大正期の陸軍軍人,政治家。長州(萩)藩士桂与一右衛門信繁と喜代子の子。長男。長州萩(萩市)生まれ。戊辰戦争では奥州各地を転戦し,維新後の明治3(1870)年ドイツに留学。帰国後,陸軍大尉に任官し,8年再びドイツ公使館付武官となりドイツの軍制を学び同11年帰国。陸軍卿山県有朋のもとで同年12月の参謀本部設置など軍制の改革に貢献した。同18~24年陸軍次官。以後累進し,日清戦争(1894~95)では第3師団長として出征。台湾総督などを歴任し,明治31年の第3次伊藤博文内閣陸軍大臣に就任。同年大将に進む。軍備拡張政策を推進,藩閥の一員として政党勢力と対立した。34年首相となり日露戦争(1904~05)を指導した。その際,原敬と5度会談,戦後の西園寺公望への政権委譲を条件に立憲政友会の支持を得た。しかし,ポーツマス講和条約に対する国民の不満が日比谷焼き打ち事件という形で顕在化するなかで退陣,西園寺と交代した。桂,西園寺,山本権兵衛など維新第2世代による「桂園時代」が始まる。明治41年成立の第2次桂内閣では,日露戦争後の困難な財政再建を図るとともに,満州(中国東北部)での勢力範囲を第2次日露協約により確定し,43年韓国を併合した。また,社会政策である工場法を制定する一方,大逆事件に代表される社会主義者への弾圧を行った。この第2次内閣の後半以降,山県有朋らの自立を図り首相退陣後元老となるも,明治天皇の死後,内大臣として宮中に封じられた。大正1(1912)年2個師団増設問題で第2次西園寺内閣が崩壊したのち,詔勅によって3度内閣を組織したが,詔勅を乱発したため非立憲との批判が高まった(第1次護憲運動)。自らも政党を作るべく立憲同志会創設を宣言したが,護憲運動が民衆暴動化し,大正2(1913)年2月にわずか53日で総辞職した。のち新政党の勢力拡大を図るなか病死。国立国会図書館憲政資料「桂太郎関係文書」がある。<参考文献>徳富猪一郎編『公爵桂太郎伝』

(小池聖一)

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世界大百科事典 第2版の解説

かつらたろう【桂太郎】

1847‐1913(弘化4‐大正2)
明治時代の軍人,政治家。長州藩士族の出身。早くより洋式銃陣を学び,戊辰戦争では長州藩第4大隊2番隊司令として奥羽を転戦。維新後大阪兵学寮に学んだが中退して1870年(明治3)ドイツに留学,一時帰国し陸軍大尉として明治政府に出仕,75年ドイツ公使館付武官として再びドイツに赴きドイツ軍政を調査・研究する。78年帰国,山県有朋陸軍卿に参謀本部独立を建言。参謀本部が設置されると管西局長となり,プロイセン軍制を範として軍制改革を推進した。

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大辞林 第三版の解説

かつらたろう【桂太郎】

1847~1913) 政治家・陸軍大将。長州藩の人。ドイツ兵制を学び、陸軍建設に尽力。三度組閣し、日英同盟締結・日露戦争・韓国併合などに当たる。1913年(大正2)憲政擁護運動に批判されて辞職(大正政変)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桂太郎
かつらたろう

[生]弘化4(1847).11.28. 長門,萩
[没]1913.10.10. 東京
軍人,政治家。 1886年陸軍次官となり,陸軍軍制をドイツ式に改革,1888年鎮台を廃し,師団を置いた。 1901~06,1908~11,1912~13年と3度組閣,この間首相として日英同盟締結,日露戦争日韓併合大逆事件に際会した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桂太郎
かつらたろう
(1847―1913)

明治時代の軍人、政治家。弘化(こうか)4年11月28日生まれ。長州藩出身。幕末戊辰戦争(ぼしんせんそう)に従軍。1869年(明治2)横浜語学校生徒、1870年8月より約3年間ドイツ留学。1874年陸軍大尉、同年少佐、陸軍省ついで参謀局勤務、1875年3月ドイツ公使館付、1878年7月帰国、同年中佐、参謀本部勤務、1884年1月より1年間大山巖(おおやまいわお)陸軍卿(りくぐんきょう)に随行してヨーロッパ各国の兵制を視察。この間、山県有朋(やまがたありとも)を助けてドイツ式軍制の建設に努め、軍政の桂、軍令の川上操六(かわかみそうろく)と併称された。1885年少将、陸軍省総務局長、翌1886年陸軍次官、1890年6月中将、翌1891年第三師団長。ついで日清(にっしん)戦争に出征し海城で苦戦した。1895年8月戦功で子爵。1896年6月より4か月間台湾総督となり南進策を構想。1898年1月より1901年(明治34)6月まで第三次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣以降4代の内閣に陸軍大臣を歴任、山県有朋の後継者と目され、軍政家より政治家に成長。第一次大隈重信(おおくましげのぶ)、第四次伊藤内閣など政党的内閣には好意的でなかった。この間1898年9月大将に昇進、1901年6月第一次桂内閣を組織、以後西園寺公望(さいおんじきんもち)と交互に政権を担当した(いわゆる桂園(けいえん)時代)。伊藤、山県、井上馨(いのうえかおる)ら長州出身の三元老には巧みに機嫌をとり、立憲政友会とは妥協して難局を切り抜け、その巧妙さは「ニコポン主義」(相手を懐柔するの意)と評された。1902年2月日英同盟の功で伯爵、1907年9月日露戦争の功で侯爵、1911年4月韓国併合の功で先輩をしのいで公爵となり、山県と同爵となる。その政権への執着心と昇進は西園寺の淡泊と対比され、政敵としては原敬(はらたかし)をもっとも警戒した。また山県としだいに対立し、その慢心ぶりは明治天皇も「桂の大天狗(てんぐ)」と評したという。
 1912年7月渡欧、モスクワ到着後天皇危篤の報に帰国、8月侍従長兼内大臣となるが、まもなく第二次西園寺内閣の総辞職で12月第三次桂内閣を組織、憲政擁護運動に会して翌1913年(大正2)2月総辞職、政治的生命を絶たれ、政党結成を進めたが、同年10月10日死去した。[山本四郎]
『徳富蘇峰編著『公爵桂太郎伝 乾坤』(1917・桂太郎伝刊行会/復刻版・1967・原書房) ▽升味準之輔著『日本政党史論 第2・3巻』(1966・東京大学出版会) ▽桂太郎著、宇野俊一校注『桂太郎自伝』(1993・平凡社・東洋文庫) ▽御厨貴監修『歴代総理大臣伝記叢書6 桂太郎』(2005・ゆまに書房) ▽宇野俊一著『人物叢書 桂太郎』新装版(2006・吉川弘文館) ▽千葉功編『桂太郎関係文書』(2010・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の桂太郎の言及

【桂=タフト協定】より

…1905年,アメリカと日本の間にかわされた朝鮮(大韓帝国)およびフィリピンに関する秘密覚書。同年7月,フィリピン視察の帰途来日したアメリカ陸軍長官W.H.タフトは桂太郎首相と会談し,両者はつぎのような覚書を確認した。(1)日本はアメリカのフィリピン統治を承認する。…

【桂園時代】より

…日露戦争後,桂太郎と西園寺公望が首相として交互に政権を担当した政治形態の総称。明治維新以来,薩長藩閥政治家中の元勲層が政権を担当してきたが,1901年伊藤博文が第4次内閣を投げ出して以後,長州閥の桂太郎が政権を担当して新しい時代が始まった。…

【大正時代】より

… 1905年9月の非講和運動は〈外には帝国主義内には立憲主義〉の理念に指導される全国的都市民衆運動として,大正デモクラシー運動の起点となったが,〈外に帝国主義〉の色彩は,1907年から09年にかけて展開された全国商業会議所連合会を中心とする軍拡反対悪税廃止運動により弱められ,13年初めの護憲運動にいたる。政府が民衆の不満を押さえて軍拡を進めるには政党の力を借りざるを得ず,1906年1月には政友会総裁西園寺公望を首班とする内閣が,官僚派代表たる長州閥の桂太郎内閣に代わって登場し,08年7月第2次桂,11年8月第2次西園寺と,交互に政権を担当する〈桂園内閣〉時代を現出した。政友会は実力者原敬の領導のもと,鉄道敷設,港湾修築など,制限選挙下有権者の大半を占める農村地主層の利益をはかる〈積極政策〉を推進し,1908年,12年の総選挙に安定多数を獲得し,つねに政府与党の地位を確保し,政治的発言権を著しく増大させた。…

【大正政変】より

…1913年の憲政擁護の民衆運動で第3次桂太郎内閣が倒された政変。1912年陸軍の二個師団増設問題で第2次西園寺公望内閣が倒れると,元老会議での後継首班推薦は難航し,結局この年8月大正天皇即位にともない内大臣として宮中入りした桂太郎を推薦した。…

【ドイツ】より

…また日本人青年も明治初年から留学生となってドイツに渡った。青木周蔵(山県有朋内閣外相),品川弥二郎(松方正義内閣内相),平田東助(桂太郎内閣内相),森鷗外など,彼らの中には政府高官・文化人として活躍した者も少なくない。明治維新政府は〈富国強兵〉の名のもとに,近代国家の建設に努めたが,そのモデルとしては,はじめイギリスが考えられたが,明治14年(1881)の政変以後,伊藤博文らの主張するプロイセン・ドイツ型の国家がその模範となった。…

【同志会】より

…大正初年の政党,立憲同志会の通称。日露戦争後政友会と妥協し,西園寺公望と交代で内閣を組織してきた桂太郎は,その第2次内閣(1908‐11)のときから,自分の意のままに動かせる政党をつくることを意図してきた。第3次内閣が護憲運動に脅かされた桂は,新党結成に踏み切り,13年2月7日,みずから立憲同志会創立委員長となって宣言と綱領を発表した。…

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