日本歴史地名大系 「守山庄」の解説 守山庄もりやまのしよう 熊本県:下益城郡小川町守山庄現小川町北部にあった弥勒寺喜多院(現大分県宇佐市)領の荘園で、中世は八代郡のうち八代北(やつしろきた)郷に属した。「事蹟通考」は、南部田(みなみべた)・北部田・河江(ごうのえ)・江頭(えがしら)・南新田(みなみしんでん)・北小野(きたおの)・小野の七ヵ村を守山郷とするが、北小野・小野の付近は小野庄ないし小野鰐(おのわに)庄であったと思われ、守山庄の荘域は守山八幡宮のある南部田村辺りを中心とする比較的狭い地域であったと思われる。成立の経緯は不明だが、建久六年(一一九五)の甲佐(こうさ)社領北小河(きたおがわ)の四至表示のなかに「北限守山庄堺」とみえ、その成立がこれ以前にさかのぼることが知られる(同年三月日「甲佐社領立券解案」阿蘇家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by