日本歴史地名大系 「小野庄」の解説
小野庄
おののしよう
- 大分県:豊後高田市
- 小野庄
長禄二年(一四五八)五月二二日の宇佐宮年中御供米御菜免注文(到津文書)にみえる一二名は、明応一〇年(一五〇一)三月四日の小野庄吉成名等十二名連署請文(永弘文書)によると吉成・
小野庄
おののしよう
現小野町を遺称地とする庄園。「明月記」寛喜二年(一二三〇)一一月五日条に「小野庄」とみえ、本主が死去したため、宣旨によって内裏二品(西園寺公経の女藤原成子)の知行とされたが、基忠入道が山門に寄進したと称して成子の使者を追出している。建武三年(一三三六)には
小野庄
おののしよう
小野庄
おののしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報