朝日日本歴史人物事典 「守随信義」の解説
守随信義
生年:生年不詳
近世初期の甲州,のち江戸の秤師。父は実は武田信玄の長男義信で,母のおじである秤師守随家初代,吉川守随茂済の養子となり,天正4(1576)年2代目を継いだ。はじめ吉川彦太郎信義と称したが,武田氏滅亡の同10年以後,徳川家康から守随を苗字とすることを命じられ,甲州一国の秤の特権を得た。後藤四郎兵衛家製作の分銅に合わせた秤の目盛を刻んだ秤器作製を行い,各地にひろめて,家康の度量衡統一政策の一翼を担った。3代目正次は関東一円,4代目正得は,京都の神氏の西33カ国と分けて,東33カ国の秤を支配するようになった。<参考文献>林英夫『秤座』
(岩橋勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報