戦国大名が領内の衡制統一のため設置したものもあるが,江戸幕府の秤座がよく知られる。江戸幕府は守随(しゆずい)家の江戸秤座(東33ヵ国),神(じん)家の京秤座(西33ヵ国)を置いて,両家に秤の製作,販売,補修の特権を与えた。守随家は1874年の段階で東日本一帯41ヵ所--設立順に,甲府,名古屋,津,高田,敦賀,会津,柏崎,大津,駿河府中,丹波亀山,高崎,彦根,秋田,金沢,川越,長岡,下野佐野,遠江中泉,信濃下越,松本,善光寺,富山,宇都宮,三河泉村,八王子,新潟,三河吉田,磐城瀬之上,米沢,加茂,出羽庄内,福井,津軽,上野原,松代,上田,仙台,箱館,相模横山宿,木更津,松坂--に出張所を置き,その管掌者を名代(みようだい)役と呼んだ。神家は西日本の15ヵ所--設立順に伏見,奈良,堺,大坂,浜田,姫路,岡山,萩,和歌山,高松,博多,広島,肥後山鹿湯町,長崎,神戸--に出店(でだな)を置き,名代役に支配させていた。守随家の初代吉川守随茂済(しげなり)は甲州出身で今川氏に奉公し,人質中の徳川家康に仕えた後,甲府に帰り1574年(天正2)武田信玄から秤製作の特権を得,82年には家康から三遠駿甲信の5ヵ国における秤製作の特権,さらに関八州における特権から,1653年(承応2)には日本を東西に神家と分掌して東33ヵ国における特権へと成長した。神家初代神善四郎は伊勢国白子の牢人で,京に出て公家に仕え秤座を開き豊後掾に任ぜられ,慶長(1596-1615)末年ごろには製品を二条城にいた家康に納め,やがて西国33ヵ国を分掌するに至った。秤座では,国や都市単位に約10年ほどの間隔で秤改めを実施した。秤改めは本座と出張所,出店の者たちによって地域内のすべての秤を提出させて検査し,正常な秤に改の焼印を押し印料をとった。悪秤は没収破棄したり,補修を加えた。補修も秤座の独占で,勝手に補修したために罪せられることも多かった。また古道具屋が古秤を売って罪せられることも珍しくなかった。
1875年8月5日度量衡取締条例が発令されて秤改役座方は廃止され,守随,神の2家は特権を失ったが,各県ごと1人ずつの製作請負人として東京では守随彦太郎,京都では神善四郎が認可された。
執筆者:林 英夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
秤役所とも。江戸時代,幕府によって江戸と京都に設置され,秤の製作・販売・修理・検定などを独占した役所。江戸・京両秤座が各地に設けた地方出張所も秤座ということがある。江戸秤座は幕府細工所の守随(しゅずい)家,京秤座は神(じん)家が主宰した。秤座で製作する秤の掛目は,いずれも分銅役所後藤四郎兵衛家の製作する分銅を基準に東西同一とされたから,幕府は両秤座を通じて全国の衡制を統一したといえる。1653年(承応2)江戸秤座が東33カ国を,京秤座が西33カ国と壱岐・対馬2島を支配することとなり,両秤座による分掌体制が成立。さらに両秤座は全国に出張所を開設して,衡制の支配を固めていく。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…中世に広く使用されたはかりは主としてさおばかりであり,室町時代末ころからてんびんも使用されたと考えられる。【宝月 圭吾】
[近世]
江戸幕府は京都の神(じん)氏,江戸の守随(しゆずい)氏に,それぞれ京都と江戸に秤座を置いて管掌させ,はかりの製作と販売(本来は下げ渡し),修補の独占権を与えていた。だから江戸時代には,この二つの座で製作する以外のはかりは原則的にはなかった。…
※「秤座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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