…もっとも,大坂夏の陣が終わった当時は戦災によって荒廃し,《大坂三郷町中御取立承伝記》によれば,〈今の島之内は荒野にて,八幡も小宮,三津寺も小庵の由〉という状態であったが,1615年大坂城主となった松平忠明は,戦災の復興と市街地の整理に着手し,津村,三津寺,上難波などに散在していた墓地を千日に統合。19年南組惣年寄安井九兵衛は,島之内一円450間四方の市街地化を図り,4年後さらに川八町(宗右衛門町,御前町,布袋町,九郎右衛門町,久右衛門町,吉左衛門町,立慶町,湊町)を開発し,遊所および芝居興行を許可された。これより島之内の市街化は大いに進み,1700年(元禄13)には町数63町,家数1650軒に達し,船場とともに商都大坂の中心として繁栄した。…
…通常中央区に属する部分を道頓堀川,西区を流れる部分を西道頓堀川と呼ぶ。その開削について従来の定説では,河内久宝寺の豪族安井道頓が豊臣秀吉に仕えて大坂城造営に従事し,功により城南の地を下賜されたが,城下町の繁栄にともない給地に漕運の要を痛感,従弟の安井治兵衛,安井九兵衛(道卜),親類の平野藤治とともに私財を投じ,久宝寺の農民を招集して1612年(慶長17)開削に着手したが,未完成のうちに大坂の陣が始まり,陣中に戦死した。陣後,安井九兵衛,平野藤治は道頓の遺志を継いで工事を再開,15年(元和1)完成した。…
※「安井九兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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