安倍安仁(読み)あべのやすひと

朝日日本歴史人物事典 「安倍安仁」の解説

安倍安仁

没年貞観1.4.23(859.5.28)
生年延暦12(793)
生年異説あり。平安前期の公卿。参議寛麻呂の次男。6尺3寸(191cm)の長身で,風貌には威厳があったという。天長5(828)年に任じられた信濃介時代のすぐれた地方政治に対して,嵯峨天皇から「安仁に勝る国司はいない」と激賞されて従五位上に任じられた。承和2(835)年には勅命によって嵯峨院別当となり嵯峨上皇に仕えたが,事務処理の能力は抜群であった。同7年左大弁となり別当職を離れたが,余人には代えがたく再び兼任。上皇没後は皇太子道康親王の春宮大夫を務め,ここでも「奏議あるごとに応対滞りなし」といわれている。人間的な信頼も得たという点で平安朝の五指に入る能吏といえるかもしれない。死去時は正三位大納言民部卿陸奥出羽按察使。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安倍安仁」の解説

安倍安仁 あべの-やすひと

793-859 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
延暦(えんりゃく)12年生まれ。蔵人頭(くろうどのとう)などをへて承和(じょうわ)5年参議となり,大蔵卿,大納言兼右近衛(うこんえの)大将歴任。嵯峨(さが)上皇の信任があつく,実務にすぐれ嵯峨院別当をつとめた。正三位。貞観(じょうがん)元年4月23日死去。67歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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