貫首(かんじゅ)とも。蔵人所の長官。蔵人所設置の際の巨勢野足(こせののたり)・藤原冬嗣(ふゆつぐ)以来,定員は2人。1人は弁官を,1人は近衛中将をあてる例が多く,それぞれ頭弁(とうのべん)・頭中将(とうのちゅうじょう)と称した。殿上では殿上人の首座に着いたことから貫首とも称され,参議昇進が例とされて公卿への登竜門となるなど,名誉かつ有利な地位であり,それにふさわしい家柄の者が任じられた。職務は,天皇の秘書官長として天皇と摂関・太政官との間の連絡にあたり,宮廷の管理・運営責任者として蔵人や殿上人を指揮するなど多様かつ繁忙であり,それに堪え得る能力を要求された。職務上機密に関与することもあったが,忠実な取次役であることを第一とし,天皇側近として権力を握ることはなかった。
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…これが蔵人所のはじまりである。設置当初の蔵人頭としては藤原冬嗣,巨勢野足,蔵人としては朝野鹿取,清原夏野,百済王勝義らの名がみえる。
[役割]
その職掌は機密文書および訴訟のことであったとされるが,より具体的には,弁官局,衛府,式部省,中務(なかつかさ)省,春宮(とうぐう)坊等の実務官人を殿上に集中し,緊急事態発生の際には詔勅の速やかな伝達と機密保持をはかる一方,弁官における告訴の受理,式部省における人事,衛府の軍事力等を天皇の直接の指揮下に置き,同時に春宮の動向をも把握しようとするものであったと思われる。…
…この制は1069年(延久1)の記録所の設置にさかのぼるが,勾当を執権と称したことが確認できるのは1186年(文治2)以後である。また蔵人の中でとくに蔵人頭を執権職事(しつけんのしきじ)ということもあった。次に院庁では別当の中で器量の者1名を執権に任じ,院中雑務の責任者とした。…
…これは飛鳥浄御原令の官制で太政官内に編入され,左・右に分化し,官職も大弁,中弁,少弁の三等となったが,そのさらに拡充されたのが大宝令官制以後の左・右の弁官である。弁官は律令政治のかなめとなる機関であったから,弁は劇職であるとともに要職であって,9世紀に天皇近侍の職として蔵人所(くろうどどころ)が置かれると,蔵人頭(くろうどのとう)2人のうちの1人はかならず弁に任じている者が兼ねた。これを頭弁(とうのべん)という。…
※「蔵人頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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