安楽城跡(読み)あんらくじようあと

日本歴史地名大系 「安楽城跡」の解説

安楽城跡
あんらくじようあと

[現在地名]志布志町安楽 和田・宮下

南流する安楽川下流右岸の標高三八メートルを最高地点とし、東から西へ延びるシラス台地の先端を主とした山城跡。平安時代末期から建久年間(一一九〇―九九)頃まで伊佐平氏系救二院氏の庶流安楽平九郎為成が救二院地頭弁済使職を有しており(五月九日「源頼朝御教書案」島津家文書)、「三国名勝図会」はこの為成を当城の最初の城主とする。しかし為成により築城されたことは確認できない。南北朝期に新納実久が志布志松尾まつお城に居城した際、当地も新納氏に属したとみられ(「新納忠勝譜」旧記雑録、「山田聖栄自記」)、当城はこの頃に築かれたと推定される。文明六年(一四七四)の行脚僧雑録(旧記雑録)では新納氏の持城の一として安楽がみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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