安楽村(読み)あんらくむら

日本歴史地名大系 「安楽村」の解説

安楽村
あんらくむら

[現在地名]志布志町安楽

志布志郷町畠まちはた村の西、有明ありあけ(志布志湾)に面する海岸段丘と、南流する安楽川下流の低地およびシラス台地に広がる。西は同郷野井倉のいくら(現有明町)、北は同郷伊崎田いさきだ(現同上)。文治五年(一一八九)ないしは建久元年(一一九〇)と推定される五月九日付源頼朝御教書案(島津家文書)によれば、安楽平九郎為成に押領されていた救二くに院地頭弁済使職を没収し、その兄救二院平八成直に安堵するよう命じられている。平安時代末期、在地領主救二院氏内部で惣家と安楽を名字の地とする庶流の間で対立があり、安楽氏は平家方、惣家は頼朝側についていたことが知られる。近世初頭のものとみられる一〇月一七日付前代知行員数之事(肝付文書)によれば、玄基から大慈だいじ寺に寄進された寺領として、救二院内安楽名内の地があった。

安楽村
あんらくむら

[現在地名]亀山市安坂山あさかやま

亀山城の北西、安楽川上流部の山間に立地する。安楽谷五郷の中央に位置する。「吾妻鏡」文治三年(一一八七)四月二九日条には「後院御庄内(中略)安楽村」の名がみえ、文明年間(一四六九―八七)以後は峯氏の所領となり、枝郷一色いつしきには「峯家来ノ屋敷長二十五間、横二十間程」の跡があったという(九九五集)。近世初期の帰属は明らかでないが、寛永一三年(一六三六)以後亀山藩領。

安楽村
あんらくむら

[現在地名]松阪市安楽町

山下やました村の南、櫛田くしだ川の左岸にあり、南は山添やまぞえ村に隣接する。西は山林をもって上川うえがわ村に続く。嘉禄元年(一二二五)一一月五日官宣旨案(東大寺文書)に、「応任故法印定範譲、永停止定親已濫妨、令無品法親王家相伝領掌東大寺別院東院門跡房舎聖教并大小末寺庄園弐拾捌箇処」とあるなかの一つに「伊勢国一処 安楽寺」の記載があり、東大寺法印定範から無品法親王家に譲られたうちの一つになっている。「五鈴遺響」に「安楽寺旧名ニシテ今安楽ト略セシナリ」とある。康永三年(一三四四)の法楽寺文書紛失記(京都市田中忠三郎氏蔵文書)に「安楽庄」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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