安楽平城跡(読み)あらひらじようあと

日本歴史地名大系 「安楽平城跡」の解説

安楽平城跡
あらひらじようあと

[現在地名]早良区重留

荒平あらひら(三九四・九メートル)に築かれた中世山城。荒平城とも記される。現在も山頂には石垣が散乱している。築城の時期は不明であるが、寛正六年(一四六五)一二月一九日の大内氏奉行人連署奉書(児玉採集文書)に「安楽平城衆」とみえ、一五世紀後半以降大内氏の早良郡支配の拠点として使われ、早良郡代の居城であった。城番等を勤める城衆は郡代指揮下に置かれ(天文七年六月一〇日「大内氏奉行人連署書状」脇山家譜)、また年未詳三月一日の大内氏奉行人連署書状(飯田文書など)によれば、城番に御番と定番の二形態があったことがわかる。文明一〇年(一四七八)一〇月当時の早良郡代遠田兼常は「正任記」同月二六日条には「安楽平城奉行遠田石見守兼常」とも記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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