日本歴史地名大系 「安楽平城跡」の解説
安楽平城跡
あらひらじようあと
[現在地名]早良区重留
採集文書)に「安楽平城衆」とみえ、一五世紀後半以降大内氏の早良郡支配の拠点として使われ、早良郡代の居城であった。城番等を勤める城衆は郡代指揮下に置かれ(天文七年六月一〇日「大内氏奉行人連署書状」脇山家譜)、また年未詳三月一日の大内氏奉行人連署書状(飯田文書など)によれば、城番に御番と定番の二形態があったことがわかる。文明一〇年(一四七八)一〇月当時の早良郡代遠田兼常は「正任記」同月二六日条には「安楽平城奉行遠田石見守兼常」とも記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報