重留村
しげとめむら
[現在地名]菱刈町重留
下手村の北東、北西流する重留川沿いにある。東は馬越郷田中村、西は大口郷花北村、北は同郷市山村。村名は重富とも記される。建武三年(一三三六)九月二〇日の島津道鑑書下(旧記雑録)に「菱刈郡田中村号重富本名々」とあり、同村内福原・平寒水名主職が宛行われている。田中村は重富本名の所在地であった。応安八年(一三七五)四月、元弘(一三三一―三四)以来の忠節を理由に、重留左近将監重兼相伝の所領菱刈院内重留名などに公方安堵御教書を下されるよう菱刈重遠から申請が出されている(「菱刈重遠申状写」曾木文書)。南北朝期に菱刈院地頭職半分が勲功の賞として篠原氏に与えられており(応安八年四月「菱刈重遠目安状写」同文書)、室町期には篠原一族の所領が名内にあった。
重留村
しげどめむら
[現在地名]早良区重留一―八丁目・重留・野芥六丁目・同八丁目・田村五丁目・東入部一丁目・同三丁目
西油山村の南西にあり、油山の北西麓に位置する。北は野芥村・田村・西脇村、西は四箇村、南は脇山村に接する。南部に荒平山があり、同山から流れ出た潮井川(現金屑川)が北へ流れる。村名は重富とも記され(慶長石高帳など)、「しげどみ」とも読まれた(地理全誌)。太宰府天満宮満盛院領重富の遺称地。また郡村と称されたともいう(続風土記拾遺)。小早川時代の指出前之帳によると重留村は田四四町二反余(分米五六一石余)・畠三町四反余(分大豆二八石余)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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