安永城跡(読み)やすながじようあと

日本歴史地名大系 「安永城跡」の解説

安永城跡
やすながじようあと

[現在地名]都城庄内町 麓

霧島山系より南東にせり出した成層シラス台地上に立地し、眼下に東流する庄内しようない川を望む。本丸(内城)・二の丸(新城・今城)金石かねいし取添とりぞえの四つの曲輪から構成され、一名鶴翼城ともいう(「三国名勝図会」など)

応仁二年(一四六八)安永薩摩迫さつまざこ(現山田町中霧島のうち)にあった北郷持久・義久(敏久)親子は、新たに勢田せいたつじに安永城を築き居城とした。持久は文明二年(一四七〇)当城で没している(北郷氏系図など)。文明六年三州処々領主記(都城島津家文書)には安永城主として北郷義久の名があげられている。だが同八年義久は島津立久から都城を再び与えられ、同年六月二一日当城を去り都城へ移った(前掲系図など)。しかしその後も都城と並ぶ北郷氏の重要拠点として利用され、永正一二年(一五一五)四月一日には安永城で犬追物が行われている(「犬追物手組」旧記雑録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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