安田昌蔵(読み)ヤスタ ショウゾウ

20世紀日本人名事典 「安田昌蔵」の解説

安田 昌蔵
ヤスタ ショウゾウ

大正・昭和期の実業家,政治家 津軽信用金庫理事長;板柳町長。



生年
明治36(1903)年11月21日

没年
昭和47(1972)年7月6日

出生地
青森県板柳町

経歴
青森県板柳町で醬油みそ製造業を営む家に生まれ、長じて家業を継ぐ。21歳で板柳銀行監査役となったのを皮切りに銀行界・実業界で活動。昭和3年津軽平野北部の運輸を円滑にするため津軽鉄道敷設に参画し、24年には弘前・大鰐間を走る弘前電気鉄道の設立に関わった。また、同年津軽信用組合(のち津軽信用金庫)を創設し、初代理事長に就任。この間、板柳町議・板柳町長としても活躍し、板柳実科高等女学校の開校やスポーツ振興を行うなど地域社会や教育の発展・活性化に努めた。その他、青森県教育委員・県体育協会副会長・国連協会弘前支部会長を歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安田昌蔵」の解説

安田昌蔵 やすだ-しょうぞう

1903-1972 大正-昭和時代の実業家。
明治36年11月21日生まれ。青森県板柳町で家業のみそ・しょうゆ醸造業をつぐ。昭和3年津軽平野北部の物資輸送のため,津軽鉄道を敷設。24年津軽信用組合(現津軽信用金庫)を設立し,理事長。弘前(ひろさき)電鉄(現弘南鉄道)初代社長。昭和47年7月6日死去。68歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む