デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安田義資」の解説 安田義資 やすだ-よしすけ ?-1193 平安後期-鎌倉時代の武将。安田義定(よしさだ)の子。文治(ぶんじ)元年源頼朝の知行国越後(えちご)(新潟県)の名(みょう)国司に任じられる。5年頼朝の奥州攻めや建久元年頼朝の京都行きにもしたがった。梶原景時の讒言(ざんげん)により建久4年11月28日鎌倉できられ,さらし首となった。通称は田中太郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「安田義資」の解説 安田義資 没年:建久4.11.28(1193.12.23) 生年:生年不詳 鎌倉初期の武将。甲斐源氏義定の子。文治1(1185)年8月,源頼朝の推挙により,越後守に任ぜられる。建久4(1193)年,女房に艶書を付したことを梶原景時に密告され,頼朝の命により梟首された。 (三田武繁) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by