朝日日本歴史人物事典 「安藤季長」の解説
安藤季長
鎌倉末期の蝦夷管領。通称五郎太郎,長じて又太郎。蝦夷系譜を称する安倍姓安藤一族の惣領家系に生まれ,父祖と同様に,鎌倉北条氏の御内人となり,津軽海峡に面する津軽,外浜,西浜,宇曾利など北条氏領の地頭代職をも兼ねながら,蝦夷沙汰に従事した。しかし,蝦夷勢の台頭するさなか,その反乱鎮静に失敗。さらに従父兄弟の安藤季久らと所領をめぐって争い,正中2(1325)年6月,北条高時から所職を罷免。津軽に拠って反乱に踏み切り,翌年(嘉暦1)蝦夷追討使工藤祐貞に捕縛され処刑されたが,その遺志は郎従季兼らに受け継がれ,蝦夷反乱の炎に一層油を注ぎ,幕府の土台を揺るがした。
(遠藤巖)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報