宗田村(読み)そうだむら

日本歴史地名大系 「宗田村」の解説

宗田村
そうだむら

[現在地名]常北町春園(はるその)

西田(にしだ)川の北方に位置し、東は石塚(いしつか)村に接し、北を細流が流れて那珂川へ注ぐ。村内の多くの地は畑地と林地で、人家は野田(のだ)村から石塚村へ向かう往還の道筋にあり、この辺りを矢原本郷(やはらほんごう)と称した。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「宗田村」とみえる。天保年間(一八三〇―四四)に隣村野田村と合併して春園村となった。宗田村の鎮守花園権現と野田村の鎮守春日(かすが)神社の一字ずつをとり村名とした。「水府志料」によると村の東西六町余・南北一四町ほど、戸数およそ二五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む