20世紀日本人名事典 「宗重望」の解説 宗 重望ソウ シゲモチ 明治・大正期の伯爵 貴院議員。 生年慶応3年7月27日(1867年) 没年大正12(1923)年3月26日 出身地対馬国府中(長崎県) 経歴対馬府中藩主・宗重正の子に生まれ、のち対馬藩主となる。日清戦争の際、対馬義勇団を組織。明治31年宮内省式部職掌典、37〜40年貴院議員。伯爵。星石または白雲山樵と号し、室を疎雨亭・小雲山房と称した。文事を好み、亀谷省軒に学び、最も書を得意とし篆刻・造研も習得。書は初め土佐流を学び、のち大倉雨村について南宗に転じ、明治の末頃中国に遊び呉昌碩・陸廉夫らと交流、書論を闘わして帰国した。また文人画にも造詣が深く、東京南画会会長などを務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗重望」の解説 宗重望 そう-しげもち 1867-1923 明治-大正時代の華族。慶応3年7月27日生まれ。対馬(つしま)(長崎県)府中藩主宗重正の子。日清(にっしん)戦争の際,対馬義勇団を組織。明治31年宮内省式部職掌典,37年貴族院議員。文人画に造詣(ぞうけい)がふかく,東京南画会会長などをつとめた。伯爵。大正12年3月26日死去。57歳。号は星石。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by