宝寿寺跡(読み)ほうじゆじあと

日本歴史地名大系 「宝寿寺跡」の解説

宝寿寺跡
ほうじゆじあと

[現在地名]美里村北長野

もと北長野きたながの細野ほそのにあった時宗寺院で、「安濃郡誌」によれば、山号を高蓋山といい、長野氏の廟所であった。その草創などは知られないが、南北朝期にはすでに「道場」として成立していたようで、文和二年(一三五三)九月晦日の日付をもつ遊行第七世託阿の被遣勢州長野之御書(「定本時宗宗典」所収)に「長野道場時衆」と記されている。この書状は、この道場の時衆が敵方についたとの理由で改易されたことに対し、託阿が抗議したもので、書状の相手は文意から推して仁木義長ではないかと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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