北長野村(読み)きたながのむら

日本歴史地名大系 「北長野村」の解説

北長野村
きたながのむら

[現在地名]美里村北長野

きようヶ峰(八一九・三メートル)の南麓と笠取かさとり(八二八メートル)の東麓にまたがる山地の多い村で、南長野村の北にあたる。長野川左岸の伊賀街道に沿って集落がある。「神鳳鈔」には「長野御厨」と載り、南長野と区別されていなかったらしい。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳に初めて「北長野村」と現れる。南北朝期、長野氏がこの地に入ってからはその支配下となり、戦国期になると、その居城はこの集落東側の丘陵上に移され、城主の屋敷も集落の中に造られたようである。


北長野村
きたながのむら

[現在地名]原町市北長野

南にある長野村の枝郷。西は信田沢しだざわ村。北長埜・北永野とも記す。寛文四年(一六六四)長野村から分村して成立したとされる(相馬藩政史)。天保郷帳では長野村に「古者 長野村・北長野村弐ケ村」と注記される。元禄郷帳に長野村枝郷と注記され、高四三八石余。なお元禄検地高は二七七石余、ほかに新田一五石余がある(奥相志)。天明三年(一七八三)の家数二七、嘉永元年(一八四八)の家数一九(検地石高収納戸口等調)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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