宝隆院(読み)ほうりゆういん

日本歴史地名大系 「宝隆院」の解説

宝隆院
ほうりゆういん

久松公園内の仁風じんぷう閣裏にある庭園。名称は藩主池田慶栄夫人整子の受戒後の号に基づく。天保五年分知家東館家の仲律を父として生れた整子は、嘉永元年一五歳で慶栄と結婚。しかし同三年慶栄が死去したため一七歳の若さで未亡人となり、受戒して宝隆院と称した。文久二年(一八六二)幕府が大名家族の帰国を許すと同三年宝隆院も鳥取に帰った。慶栄の後を継いで藩主となった池田慶徳は若い義母をなぐさめるために、江戸はま町にあった同夫人の邸をそのまま鳥取城内三の丸の御内馬場の地に運んで建直し、おうぎ御殿と称したという(「梶川栄吉覚書」仁風閣物語)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む