実相寺山(読み)じつそうじやま

日本歴史地名大系 「実相寺山」の解説

実相寺山
じつそうじやま

石垣原いしがきばる扇状地の中央部にあり、標高一六九・八メートル。石垣原扇状地は慶長五年(一六〇〇)徳川方の黒田如水・細川家臣松井康之軍と、これを迎え撃つ大友軍との激戦があった所で、この合戦を石垣原合戦という。黒田・松井軍は実相寺山を本陣とし、立石たていし村に陣を布く大友軍と対峙した。大友方の将吉弘統幸・宗像鎮継(鎮続)らは実相寺山を攻めたが戦死し、勝敗が決した(「石垣原合戦覚」古屋家文書)。この敗北で大友吉統は剃髪し常陸に流され、九州支配は徳川方に移ることとなった(清正勲績考)。元禄七年(一六九四)に当地を訪れた貝原益軒は「豊国紀行」に「実相寺山、里屋の東にあり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報