室場鉄山跡(読み)むろばてつざんあと

日本歴史地名大系 「室場鉄山跡」の解説

室場鉄山跡
むろばてつざんあと

[現在地名]田野畑村 浜岩泉

江戸時代、浜岩泉はまいわいずみ村・田野畑村の村境を流れる松前まつまえ沢上流にあった鉄山。

室場地方では享保七年(一七二二)長滝ながたき(七滝)鉄山、宝暦二年(一七五二)には中室場鉄山が開かれ、古くから製鉄が行われていたが、一般に室場鉄山と称されるのは弘化四年(一八四七)岩泉いわいずみ(現岩泉町)の中村半兵衛によって開かれた下室場鉄山である。一時、かど(現岩泉町)の佐藤儀助によって大披おおひらき鉄山と兼営されたが、儀助が嘉永六年(一八五三)三閉伊百姓一揆の襲撃にあったため休山同様となり、中村半兵衛の経営に移されている。翌七年には支配人が交替しており、同年より一〇年間は一ヵ年の冥加金二六〇両、ただし同年だけは金一〇〇両を上納することが決定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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