田野畑村(読み)たのはたむら

日本歴史地名大系 「田野畑村」の解説

田野畑村
たのはたむら

[現在地名]田野畑村 田野畑・和野わの羅賀らが明戸あけとつくえ北山きたやま菅窪すげのくぼ七滝ななたき板橋いたばしなど

東は海、西は尾肝要おかんよう村、南は浜岩泉はまいわいずみ村、北は普代ふだい(現普代村)。海岸は断崖絶壁が続き、わずかに弁天べんてん崎の南方に羅賀・平井賀ひらいがの両浦が開かれているにすぎない。とくに弁天崎から北山崎に至る海食崖は、陸中海岸随一の景観を呈する。大部分が標高二〇〇メートル前後の海岸段丘からなり、その間に小集落が点在する。浜街道が通る。「雑書」寛永二一年(一六四四)一〇月二六日条にみえる「田端村」は当村のことか。正保国絵図に「田野畠村」とみえ、高九一石余。元禄十郡郷帳によれば〆高は畑方一九三石余のみ、当村へ浜岩泉村が入るとある。天保八年(一八三七)の惣高書上帳(郷土史叢)などによれば高一三一石余、うち蔵入地七二石余・野田司馬給地五八石余。年貢高は蔵入地のうち五四石分は免九分二厘五毛、明戸集落一八石余は天明三年(一七八三)の飢饉以来高付しないことが多く、金納が許され初め高一〇〇石につき金三五匁であったが、のち高一石につき銭四五〇文となった。

田野畑村
たのはたむら

面積:一五五・六七平方キロ

下閉伊郡の北東部に位置して、東は太平洋に面し、南および西は岩泉いわいずみ町、北は普代ふだい村に接する。北上高地とそれに続く海岸段丘からなり、段丘の幅は平均四キロを超す。海岸に羅賀らが平井賀ひらいが島越しまのこし、段丘上には大芦おおあし菅窪すげのくぼ・田野畑・つくえ北山きたやまなどの集落が点在し、山間には北西部の普代川上流に田代たしろ尾肝要おかんよう沼袋ぬまぶくろ、南西部に七滝ななたき目名めな年呂部としろべなどがある。酪農・漁業・観光を三つの柱とする新しい村づくりが進められつつある。酪農では、村面積の大半を占める高原地帯の開発を計画、昭和五二年(一九七七)村営長嶺ながね牧場を造成、沿岸では島越が第四種漁港に、羅賀・平井賀が第一種漁港に指定され、ワカメアワビウニ等の養殖漁業が行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田野畑村」の意味・わかりやすい解説

田野畑〔村〕
たのはた

岩手県東部,太平洋岸の村。1889年村制。村名は近世以来の地名。村域西部に北上高地の主脈が走り,村域の 85%が山林原野。波状に起伏する丘陵が海岸線に迫る。三陸復興国立公園の中央部にあり,観光と農林業が主産業。ワカメの養殖や磯漁業のほかに酪農も行なわれている。豪壮雄大な海食崖が続く北山崎や鵜ノ巣断崖白亜紀層からなる弁天崎など陸中海岸の絶景地。2011年,東北地方太平洋沖地震に伴う津波により大きな被害を受けた。国道45号線が村域中央を縦貫三陸鉄道北リアス線が通る。面積 156.19km2。人口 3059(2020)。

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