宮之浦村
みやのうらむら
[現在地名]吉田町宮之浦・牟礼岡一―三丁目
吉田郷の南部に位置し、西は本名村、北は木城村、南は鹿児島近在の川上・吉野・岡之原各村(現鹿児島市)、東は牟礼岡を介して重富郷平松村(現姶良町)。宮ノ浦とも記された。中世は吉田院のうち。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)に吉田院二〇丁九段内の三名の一つとして「宮浦四丁八段四尺八寸二郎太夫清持領」とある。
宮之浦村
みやのうらむら
[現在地名]上屋久町宮之浦
現町域の北東部に位置する。東は楠川村、西は志戸子村、南は山岳、北は海に面する。地内には式内社に比定される益救神社があり、村名は同社に由来するという。また戦国期の宮之浦城跡がある。文禄検地では吉田村の小村であったが(三国名勝図会)、のち本村となり、一湊・楠川・志戸子・小瀬田の各村を小村とした(薩藩政要録)。享保一一年(一七二六)の検地帳(野村兼太郎氏収集文書)では高一八四石余、「三州御治世要覧」・旧高旧領取調帳でもほぼ同高。伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」では吉田村の枝村とあり、家数一八〇。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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