宮之浦城跡(読み)みやのうらじようあと

日本歴史地名大系 「宮之浦城跡」の解説

宮之浦城跡
みやのうらじようあと

[現在地名]上屋久町宮之浦

宮之浦川の下流左岸、宮之浦岳の裾野の里山の標高二〇七メートルを最高地点とする尾根の先端を主とする山城城が平じようがひら城・宮之浦山城ともいう。尾根は東に突出し、太平洋や楠川くすがわ地区から宮之浦集落までを広く望むことができる。天文一二年(一五四三)三月に屋久島を種子島氏より手に入れた禰寝清年が築いた城で、大永四年(一五二四)種子島忠時築城の楠川城に対する城として築かれた(種子島家譜)。翌一三年一月、種子島勢は禰寝勢を討つべく楠川に上陸し、宮之浦川付近に進み、宮之浦城を守る禰寝勢を討ち、すぐに永田ながた(長田)城に向かっている(同家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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