宮吉新田(読み)みやよししんでん

日本歴史地名大系 「宮吉新田」の解説

宮吉新田
みやよししんでん

[現在地名]紫雲寺町宮吉

集落は草荷そうか(現加治川村)の下草荷と入交じる。享保二〇年(一七三五)初検地の紫雲寺潟新田の一村で、開発願人柏崎町宮川四郎兵衛の請地。村名は宮川四郎兵衛の姓とその子儀右衛門の諱吉明を組合せて名付けられた。同氏は新田開発の功で一五〇町歩・三ヵ村(宮吉・住吉両新田、現中条町の宮川新田)を下賜されたが、当村は宮川氏所持の紫雲寺潟新田や下越地方で同氏が開発した新田経営の拠点であった。庄屋は初め儀右衛門が勤めたが、その後柏崎町宮川氏代々の二、三男が同町より派遣されて勤めた。元文元年(一七三六)検地帳(宮川四郎兵衛氏蔵)によれば高二〇〇石六斗余・反別一九町五反余、ほかに見取場二町五反余などがあり、総反別は二三町三反余であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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